生きる(仮)

DIE FROM LOVE

2017年のWBC直後に書いた文章

が出てきたのでそのまま載せる試みです
久々のブログが過去の産物かいという感じだし ほんとうは学生時代の文章なんて一切世に出したくないんだけど
最後の段を読んで このときの自分を踏まえた上で今回の大会を迎えたいなと思ってしまった
あと全体的に内容がめんどくせえオタクすぎてちょっとオモロくなって……

このとき以来6年ぶりのWBC 山田さんが変わらず代表として出てくれることになにより感謝しつつ
結果はどうあれこの大会が 山田さんにとって幸せな時間になることを 心から願わずにいられない
きっと選手オタクとして最後のWBCになる どうか大事な山田さんに幸多からんことを……




2年前までプロ野球に関しては超ライトかつニュートラルだったはずがある選手に出会い頭から泥沼へ突っ込んだオタクですこんにちは。
そんなクソにわかが実質初めてのWBCを迎えました。個人的に考えたことを書き残しておきます。

主にある選手こと山田哲人の話。



●選手を愛せど侍を愛せず

ずっと、出てほしくない、と思っていた。

去年は怪我もあったし、シーズンのためにも無理はしてほしくなかった。
そしてただでさえヤクルトというひとつのチームを引っ張っていかなければならない、そんな存在となりつつある山田さんに、日の丸まで背負わせるのは酷だろうと。
山田さんはまだ24歳だ。世間一般の24歳なんてだいたい、まだ物心もついていないし、首も据わっていないに違いないはずだ。
そんな世間一般の24歳と比べて、特別しっかりしているとも思えない、山田さん。ただ野球がべらぼうにうまいというだけで、どうして国のことまで考えて戦わなければならないのだろうか。

それに加えてというか、その根底にあるのが、正直なところ、山田さんがWBCで活躍するビジョンが見えなかったということ。
プレッシャーに強いタイプではないし、末端冷え性のせいか春先はいつも調子がよくない(しかも最近になって、花粉症を発症したという)。メイン会場は長年苦手としている呪いの東京ドームである。
ヤクルトファンはそういった山田さんの弱みを知っているから、山田さんが不調でもフォローできる。でも他球団ファンからしてみればそんなこと、知ったことではないだろう。
限られた試合、限られた打席しか用意されていない、それは他の選手も同じことで、そこで活躍できなければどんな理由があったとしても非難される。仕方ないと言えば仕方ないことなのだ。
でも山田さんがそれをされると思うと耐えられなかった。
最初から弱みを隠すなり克服して活躍してくれればそれで済む話だ。しかしどうしても先行きが不安で、不安で、どうしても信じてあげることができなかった。
そんな自分がまた嫌になって、どうして素直に応援できないの? それでもオタクか!? などと騒いでは、アホみたいにずっとキレまわっていた。

ヤクルトですこぶる楽しそうに野球をやっている(もちろんそうでないときもあるけれど)姿を知っているだけに、「侍ジャパン」として、いかにも重圧を背負っていますといった表情の山田さんを、どうしても直視できなかった。
実際、WBC開催直前の強化試合で、山田さんはあまり調子がよくなかった。さらに、あれだけセカンドで出たいと言っていたにもかかわらず、DH起用がほとんどだったのだ。
それがまたつらい。もうずっとヤクルトにいてオープン戦に出てくれ、そっちのほうが試合勘もつきそうだしなどと、考えてもどうにもならないことを延々と考えていた。

それが少し変わったのが3月1日の強化試合、山田さんが初回先頭打者ホームランを打ったあの試合。
死ぬほど安心した。泣いた。
リアルタイムでは見られなかったものの、もはや見たか見ていないかは問題ではなかった。強化試合とは言え、あの一発があったことで、山田さんが最初から最後まで、徹頭徹尾ダメだったということはなくなったのだ。それだけ大きな意味を持ったホームランだったのだ、少なくともわたしにとっては。
おかげで「WBCに出たってなにもいいことがないってわけでもなさそうだな」と、少しは受け入れられるようになったのだった。単純思考すぎる。

WBCに出たってなにもいいことがないってわけでもない」

そのときから最後の試合までずっと同じことを考えていた。もちろんそれは本番でも山田さんが活躍したからこそ言えること。
山田さんすごい。すごかった、かっこよかったぞ、山田さん。正直、ファンとしてどうなんだと自分でも思うけれど、もっとダメだと思っていた。わたしが知っているよりずっとすごい選手だった、山田さんは。バントもしていたし。できるのか、バント。
そんな山田さんのことを信じられなかった自分のことはさらに信じられなくなったけど、山田さんのことは信じられるようになった。侍ジャパンの山田さんも好きになれたよ。わりとね。

とは言え、周知のように、ずっと絶好調というわけでもなく、むしろ調子の悪い試合のほうが多かったのだ。オランダ戦の日の晩はよくうなされた。
でもどの試合ももれなく展開が劇的だった、だから、見ていてふつうに楽しかった。
いままで、山田さんの調子の善し悪しが自分の快・不快感情と直結しているフシがあったのが、そこをある程度切り離して見ることができたのだと思う。
事前に予想していたとおり、セカンド守備につくことはなかったけれど、それもまあ仕方ないかと。割り切ったよ。ホントにホントに……ね……。

そうやって、満足ですといった具合に〆られればいちばんいいのだけれど、残念ながらそう簡単にはいかないものだ。
試合は面白かったし、侍ジャパンが勝てばもちろんうれしい。
しかしシーズンが始まれば、侍ジャパンの頼もしい仲間たちは全員、山田さんの敵に回ってしまう。秋吉さん以外は全員敵である(秋吉さんが敵になることもあるけれど)。
そんな選手たちの活躍と、その活躍を取り上げる報道には、素直によろこぶことができなかった。

野球に関してはDDじゃない。
わたしが好きなのは東京ヤクルトスワローズなんだよ!

山田さんを知るまで、スワローズに関する知識はほぼ皆無だったわたしでも、山田さんを知って以降は彼のいる球団そのものが大好きになった。もし山田さんがヤクルトの選手でなくてもそうだっただろうか、とかいうたらればの話は置いておいて。
いまやヤクルトに関してはだれが活躍して、お立ち台に上っても、よろこばしい。ヤクルトに関してはDDだ。実際WBCでは秋吉さんの好投にも大いにはしゃいだし、バレンティンのホームランも正直、うれしかった。
それと同じような感情を侍ジャパンに対して抱くことができれば、WBCももう少し楽に見られたかもしれない。

こんな調子で結局、最後まで侍ジャパンというチームを好きになることができないままなのだろうか。ボンヤリ考えつつ迎えた準決勝、9回裏で松田さんが三振に倒れた瞬間、うめいた。
部屋でひとり、枕に顔を埋めて、何度もうめいた。
悔しかったか、悲しかったか、決勝に行ってほしかったか。優勝してほしかったかな。それはそれで面倒な気もしていたし、なにが正解なのか、いまとなってはほんとうにわからないままだけれど。
少しはチームとしての侍ジャパンの健闘を祈ることができたのだろうか、最後の最後になって。

しかしまあ「試合に勝ってみんなもよろこんでいるのにひとりでしんどい思いをしている」という状況が多かったな。損した気分だ。



●幻弾奇譚 山田さんスーパースターかもね編

WBCにおける山田さんの話をするにあたって、外せない話題がある。

初戦、キューバ戦でのこと。

その当時わたしは羽田から神戸に戻る飛行機に乗っていて、現場をリアルタイムで見ることは叶わず、ことのあらましを知ったのは着陸してからのことだった。
先に試合速報を開いて、山田さんが勝ち越しのタイムリーツーベースを打ったと知ったときは、ほんとうに、涙が出るほどうれしかったのだ。それほどまでに事前の不安が大きかったから。
それからTwitterを開いて、すぐに感じ取った。「山田さんに関して、なにか尋常ではないことが起こっているかもしれない」。

改めて説明しておくと、山田さんが勝ち越し点を上げたのは本来、ツーベースではなかった。
観客の少年が腕を伸ばして打球をキャッチすることがなければ、それはホームランであったかもしれない、という話だ。

その少年が写真をTwitterにアップすると(結局、現在に至るまで実物を見ていないから、どういう写真なのかよくわからないままだ)、史上稀に見る大炎上が起こる。トレンドワードに「クソガキ」が入るなど、野球ファンでなくともこの騒ぎを目にした人は多いだろう。
山田さんのガセ発言まで流布していたのには驚いた。

そんなことってあるかよ、と考えていた。
DH起用が多いであろう(実際そうなったけれど)山田さんがWBCで起こすアクションと言えば、「打つ」か「打たない」かのどちらかしかないはずなのだ。「打ったホームランが幻になる」ってなんだそれ。
しかもそれが、一応山田さんのオタクである自分の、あずかり知らぬところで大騒ぎになっている。
怒るべきだったのかもしれない、悲しむべきだったのかもしれない。ただそれよりも、出来事をどう受け止めていいかがわからずに、わたしはひたすら困惑していた。

行き場のない気持ちは、山田さんのホームランを幻にした当事者、そして大炎上の当事者の少年にぶつければよかったのかもしれない。それはできなかった、というかしなかった。ネットリテラシーボロボロだなとは思ったけれど。
それは、「山田さんはそんなことを望んではいないだろうから」という理由でも、「中学生だから」という理由でもなかった。

いま思えば、わたしが恨んでいたのは少年はなかった。山田さんのホームランを幻にしたのは、少年ではなく、世間ではないのか、きっとそう考えていたのだ。
大きな大会での貴重なホームラン。正式記録にならないとしても、山田さんは確かに打った。もっと讃えられてもいいはずなのだ。現に、タイムリーヒットに格下げされたとは言え、それは勝利打点につながったのだから、結果を残したと言ってもいいはず。
それなのに注目されるのは少年の愚行ばかり。少年がボールをキャッチした、その写真をTwitterにアップして大炎上した、そんなことだけが騒がれて、残って。
肝心の山田さんのホームランはなかったことにされるなんてあってはならないのに。
極端に言うと、わたしひとりだけでも「山田さんはホームランを打ったんだ」と思えていればそれでよかったのだけれど、とは言え納得いかないものは納得いかないのだった。

数日後、例のガセツイートの再現のようなコメントを山田さんがしたとき、それが賞賛されているのを見たときは、WBC前に読んだ山田さんのインタビュー、そこにおける発言を思い出していた。

「僕の言葉は信用しない方がいいです」

初戦から1週間後、今大会2度目のキューバ戦で、山田さんは2本のホームランを打った。
好きな人間の快挙が蔑ろにされること、なにも知らない人間に大人の対応を褒めそやされること、なにも結果を残していないと見なされること、そんななにもかもが2本目のホームランですべて吹っ飛んで、わたしは言葉で説明しがたいほどの興奮と感動でこんがらがり、倒れそうになっていた。
山田さんのことを好きでいてよかったよわたしは。
そう思わせてくれる山田さんはすごい。そう思わせてくれてありがとうな。

落ち着いたころになって、そういえばよかったなあのクソガキ、と思った。思い出したようにというか、実際忘れていたのだけれど。
ホームランが幻になったという事実そのものはインパクトがすごいから、当分忘れることがないだろうけれど、あのホームランそのものへの未練はすっかりなくなったと思う。
もう、ホームランじゃなかったってことでもいいよ。ホームランだったけどな。

その後Twitterで「派手な選手だ」というコメントを目にしたとき、これがもう死ぬほど解釈が合って、やっとすべての合点がいったような気さえした。
やることなすこと極端で派手で、たまに、本人の力ではどうにもならないような、とんでもない事件をも起こしてしまう。オタクの情緒をわしづかんで前後にガックンガックン揺さぶってくるような、そういう野球選手なのだ、山田さんは。
きっとそれがスーパースターであるということなのだろう。
山田さんがスーパースターと呼ばれるたび、なんの疑いも考えもなく受け入れていたけれど、そのこともようやっと腑に落ちた。山田さんは約束されたスーパースターだった。
すべては、わたしたちにそのことを知らしめるため。そのためのWBCだったのだろうか。
少なくともわたしにとってはそうだったに違いない。もう嫌というほど知らしめられたのだから。

正直、勘弁してほしい。スーパースターを好きでいるのは大変だ。こちとら毎日、苦労しっぱなしなのだ。
でもそういう山田さんのことを好きになったんだよ。バカ!



結局、選手のオタクとしてどうだったの?
そう問われたところで、「しんどかったけど楽しかった」と、遠足帰りの幼稚園児みたいな感想しか出てこないWBCだった。
最後にもうひとつ印象的だったのが、アメリカから日本に帰ってきた山田さんの取材記事を読んでいたら、なにを学んだかとかこれからの課題はとか、理論じみた話がその大半を占めていたこと。
わたしが山田さんに対して「不思議だ」と思う要因のひとつは、山田さんが感情で物事を語ることをしないことにあるのかもしれない。完全に感覚派の選手であるにもかかわらず。
以前Twitterで「山田さんはヒーローインタビューで安易に最高ですとか言わないから好き」という話をした覚えがあるけれど、なるほどそこに関しては、点と線がつながった。
でも、言葉にしないところで。ほんとうはすこぶる悔しいんだろうな、悲しいんだろうな、と思うと、なんとも言えなくなってしまう。

2019年はプレミア12、2020年は東京五輪、2021年はWBCの次回大会と、再来年からは代表戦ラッシュ。まだまだ先のことだろうとか油断していたら、案外すぐに来そうだ。
果たしてそのとき山田さんが代表に選ばれるのか、わたしは選ばれてほしいと思っているのかそうでないのか、そもそもそのときまで山田さんのオタクを続けられているのか。これもまったくわからない。そしてわたしはちゃんと就職できているのだろうか。
とりあえずは心構えとして、案外あっけなく終わってしまった今回のWBCのことを、忘れず心に留めておきたい。選手オタクとして初めて迎えたWBCのことを。

あ~、シーズンが始まるな。