生きる(仮)

DIE FROM LOVE

大学を卒業しました・ドキュメント「オタクと学校」

式までだいぶ時間があったため袴の着付けのあとは梅田まで出て女学生ごっこをしながら母とランチを堪能 さあ大学へ戻って写真でも撮って式に出るかと思った瞬間に電車が止まった(ハイライト)
大学は阪急沿線にあり JRからはほぼ""行けない""と言って差し支えないほどアクセスが悪い バスなどもこれと言って存在しないので阪急が止まってしまうとすなわち死 さまよったあげくなんとかタクシーをつかまえたもののわたしはそのドッタンバッタン大騒ぎっぷりにひとり爆笑し狂人と化した
しかし途中参加でも式が鬼のように面白くないことはわかったためなんならもうちょっとゆっくり来るべきだったかなと思った

式のあとは専攻ごとに集まってもろもろの行事があったのだけれどこっちのほうが100000倍面白かった ここだけでも参加できてよかったしここから参加でもよかった 司会の教授が「システマティックに進行しますよ~」と言いつつ他の教授がそのシステムをまったく理解できていない様子が非常にコントだった
社会学とはそういう学問なのかほんとうにキャラの濃い教授が多く やっぱりこの専攻を選んで正解だったと思う 変な人間が好きなので……

つ~わけで6年+3年+3年+4年=計16年の学生生活をここに終えてきました



とはいえ最後の1年は週1以下のペースでしか来ていなかった大学 なんとも実感がなくま~た卒業式の日に雨かよというくらいの感慨しかなかった
友人とてこれからも会う人は会うだろうし会わない人はそれきりだなというくらい
教授に関して言うと……就職先の代表がウチのゼミ担当と関わりが深いため……わたしの仕事っぷりは常に筒抜け……教授と学生という関係性を失ってなおわたしは教授の監視下に置かれている……



わたしの周辺には「中学時代が黒歴史」という人間が多く いやそもそも「中学時代が黒歴史」の絶対人口が多いだろうが 中2をこじらせて~とかそういう黒歴史ではなく嫌がらせとかそういうたぐいです
それで言うとあのころはわたしもわりといろいろ言われていた気がする(うろ覚え?) まあスクールカーストで真ん中より上に行ったことがない人間なので
ただ黒歴史かと問われるといや~そんなことはないかな

振り返ると小学6年生の冬 モンスターエンジンというお笑いコンビにハマり そこから1年ほどはほぼすべてを彼らに捧げていた 中学に入学してからは月1ペースでbaseよしもとに通い2日連続で参戦したこともあった
やがて東京芸人も見るようになりグランジの単独ライブのために東京まで遠征したり 好きな芸人の影響で音楽を聴きはじめるようになるとユニコーンにハマりその流れで電気グルーヴにハマり行き着いた先にコーネリアス
思えばあのころからコンテンツが好きで生活の軸だった

だから学校で起こることより 家に帰ってチケ発と向き合うこと録画した番組を見ることYouTubeで音楽を聴きあさること本屋に行って雑誌を買うことそれらで吸収したもろもろをブログに書くこと のほうがわたしにとっては大事だったし
大事なことは学校の外にあるから学校では勉強をして友だちとキャッキャ話ができればそれでいいやと思っていた おかげでなにがあっても楽しかったし楽しかったこと以外は忘れた

学校がつらければ図書館に~というあれ 少し前にバズったあれってメチャクチャ理にかなっているというか 本に限らずとも学校の外に好きを見つけること学校の外に生活の軸を持ってくることって 思春期を生き延びる上で超重要じゃないかと個人的に思う
簡単に言うけどそれができれば苦労しないんだよなきっと わたしは運がよかった
モンエンさんにはいまも感謝感謝である わたしをオタクにしてくれてどうもありがとう 去年の結成10周年記念ライブ最高だったよ



初めて生活の軸が学校という場に重なったのが大学だった と言うと大仰だけど単に大学では好きなものについて勉強したかったというだけね
「好きなものについて勉強する」メリットは多く1にも2にも講義が超楽しい 楽しすぎて大学生とは?というくらいまじめに出席していた
サークルもなにも入っていなかったからこそできたことかもしれんが いや講義にちゃんと出席するためにサークルもなにも入らなかったんだ いまでも学校はあくまで勉強するための場所だし そもそもが無理を言って入った大学と専攻だったからちゃんと勉強しないと親に申し訳が立たねえ
そしてちゃんと勉強しすぎた結果大学から返さなくていい奨学金をもらうようになり……やっと申し訳が立つように……すみません

しかし考えものだよな~と思うこともあった わたしは我ながらそこそこ音楽に詳しいつもりでいたんだけど 大学には自分より詳しい人間なんてゴロゴロいるわけで
そうするとじゃあ中学時代から現在にいたるまで大部分を音楽に費やしてきたわたしの人生ってなんだったのという気持ちになってくる
無理やりもっと音楽を聴かないともっと詳しくならないとと思った時期もあった 音楽なんて楽しく聴くもんだから苦しむ必要ないんだよねもとから わかっちゃいてもね……

大学2年生になってちょくちょくアニメを見たり なにより山田さんの存在を知って野球を見るようになった そうやってほかのコンテンツに好きを分散することでだいぶ肩の力が抜けたという感はあったが
大学でも好きなことだけ大学の外でも好きなことだけ ほんとうにこれでいいのかな~と思うことも増えていた パッパラパーなのですぐ単なるオタクに戻ったが

それでも好きだけでここまで突き抜けてきたのはそれ以外に能がないからだった



これはスケッチブックと色鉛筆 どちらも手触りが最高です
あの例の 例に漏れず趣味大爆発な卒論 各ゼミでひとり選出される最優秀論文賞には選ばれなかったのだけれど 教授賞とかいう謎の私設賞をいただいてしまった いやその賞なに?と思いつつ「僕はもらえるものはもらっておきます」という山田さんの名言が脳裏を過ぎって考えることをやめた
完成度がどうとかお褒めの言葉ももらって
音楽関係に就職が決まったことも含めて や~っと好きだけの人生が活かされたというか ちょっと報われたかな……という気持ちになりながらそれを聞いていた なんだかんだずっと楽しかったから報われなくなって別に構わないんだけど報われるに越したことはないな
ここまで導いてくれた小山田さんにも重ねて感謝だ……こいつ常に感謝してんな

もしかしたら近い将来 学生時代はオタクしすぎたんじゃないかとか もっと学校で青春するべきだったんじゃないかとか 思うこともあるかもしれんがうるせえ後悔するくらいなら死ね(この言いよう)
少なくともいまはまあこういうのもよかったんじゃないのと思っている

それでスケッチブックと色鉛筆は教授賞の副賞なんだけど 何故このチョイスかというと「頭がグチャグチャになったときは絵にするといい」という教授の考えに基づくものらしい なるほど
ここで重要なのは教授はわたしの描く絵を見たことがないということです



わたしの描く絵(一例)



長々と振り返ってみたけどこの振り返りが社会人生活に活かされることはまずないと思う いややっぱり学生と社会人ってまったくの別モノでしょ だからまたイチから身の振り方を考えていく所存である
とりあえずあと1週間ほどはまだ学生ですけどというツラをしておく