1年越しに東京オリンピックの話をする(開会式編)
東京オリンピックからもう1年経つのか いろいろと楽しかったですね 推しが姫になったりとか……
楽しかったことはまた別途振り返るとして きょうは楽しくなかったことの話をしにきました
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結論から言うとわたしはいちばん好きなミュージシャンを訊かれたらコーネリアスと答えるんだと思う
1年前までは間違いなくそうだったし いまもきっと……そう……
それを去年のいまごろにも胸を張って言えたらよかったんだけど まああの それもままならないくらい
ま~~~~~~~~~~~~~~~~~じで
苦しかった 「好きだからこそ」と枕詞をつけると言い訳になってしまうが(この文章は全編に渡って言い訳で構成されています)
好きな人間が世間のバッシングに晒されているところを見るのは 苦しい……
否定的な意見だけでないことはわかっていた ただその意見を拾うために火中へ突っ込んでいくバイタリティーはなかったし
火を遠くから見ることもおそろしくて とにかく情報をシャットアウトするという行動を選んだ
なにが困ったってあの時期夏休みで実家に帰っていたのがちょっと 親が気を遣ってフォローしてくれたのはありがたかったが正直「そもそもその話題に触れてくれるな」という気持ちが強かったし
自分ひとりでいたら絶対見ないワイドショーがリビングで流れていて 否応なくその話題を目にすることになったのも結構つらかった 「チャンネル変えて」って何回か言ったな……めんどくさい娘ですみませんね……
1ヶ月後まであのキラキラを大事にできる保証がないのも怖い ずっと好きでいられるとは限らないと好きになったころから言いつづけているが いま自分ごととしてそれをいっそう強く感じている
いろいろあったからね……
いろいろ……(匂わせ?)
ブログとかツイッターでもこうやって数回匂わせる程度に触れたが
事象に言及するには事象と真正面から向き合うことになる そこで消費するカロリーと見合うほどの気力がわたしにはなかった
苦しさ怖さが先立って ここ1年はまともにコーネリ関連の楽曲も聴けていないし きのうのフジロックも見ていない きのうの夜からツイッターも見ていなかった
間違いなく自分の人格形成に大きな影響を与えてくれた人なのに 自分の弱さゆえにそういう逃げ方しかできないのがすごく嫌だったし いまも嫌だな~と思っております
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こんなことを言うのはほんとうにifの話でもよくないとわかりつつ ほんとうにほんとうにifの話だから見逃してほしいが
わたしたちは推しが人を殺しても 推しのことを許せるんでしょうか……
愛するテレビで見た男/雑記 - 生きる(仮)
これは騒動の2ヶ月前に書き 結果的に予言のようになってしまった文章
殺人までは起こっていないが……
ただこれに関してはこの文章を書く前から答えが出ていた そこまで思い至らなかったというだけで
なんせわたしがあのことで受け入れられなかったのは「推しの悪行に対する世間のバッシング」であって「推しの悪行」そのものではなかった
コーネリアスのファンおおかたそうだと思うんだけど 全部知ってた 好きになる前から全部知っていたし 知った上でミュージシャンとしての彼を好きでいることを選んでいた
悪行そのものを許す許さないではなく「そういうこともあった」人として彼を見ていた
言うてケースバイケースだとは思うが これは自分の「推しが人を殺しても推しのことを許せる?」に対するひとつの解になりうるのではないかと いまにして思う
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前述のように この話題と向き合うことで生じる心理的負担がでかすぎて そういう気持ちを文章にすることもできず 一生かかっても文章にできないかもしれないな……とまで思っていたが
それがきょうになって急に「書けるかもしれない」と思えたのは
きのうのフジロックのパフォーマンスに関する(例の話題にまったく触れない)肯定的な意見を 思わぬ場所で偶然目にしたことと
それを受けて「は?ずるいが……わたしも見たかったが……」という どのツラ下げて言ってんだ的オピニオンを自然に抱けたことがきっかけだった
1年前 ズタズタになった心でそれでも「まあ時間がかかってもいつもどおりに戻れたらいいな」とうっすら思っていたし
いまはより強くそう思えている 自分が弱いことに変わりはないが 少しずつでもちゃんと「いつもどおり」に戻れていることはうれしい
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フェスはまだ怖いな 特別ファンじゃない人も見るわけだし
ワンマンならさすがにファンしか来ないだろうし怖いものはない やってくれたらよろこび勇んで見に行くが
そういえば騒動とか関係なくもともと滅多にワンマンをやらない人だった 前回2017年のツアーがワンマンの全国ツアーとしては10年ぶりとかだった覚えがある
え?あと5年待てと……